ランチア・ラムダ 8a
筆者略歴
濱素紀 1927年生まれ、東京都武蔵野市在住
・1953年 東京芸術大学美術学部工芸科鍛金部卒業
・1955年 同工芸計画科修了
自宅に、濱研究室を開催、日本でFRPの成型法を
マスターした初期のひとり。
・1964年から1998年まで東洋大学工学部機械工学科と建築
学科で、デザイン論、美術史などの講座を担当。
・1974年から1998年まで名古屋芸術大学美術学部デザイン科で
FRP成型法 を教える。
ランチア・ラムダ 8a
≪ランチア社の創業≫
ランチア社は1906年に、ヴィンチェンツォ・ランチアによってトリノで創業された。
彼の父、ジュセッペはスープの缶詰メーカで裕福な家庭だった。若いころのランチアは数学が得意だったことから帳簿係になることを期待されていたが、家の近くの自動車修理工場に興味があり毎日のように出入りしていた。その工場は後に、自身の名前を付けた自動車メーカを興すジョヴァンニ・チェイラーノの経営する小さな工場だった。ランチアは自動車に興味を持ちこの会社のレースチームに入り活動するようになった。のちにこの工場はフィアット社に吸収されたが、彼はそこを離れ、独立してランチア自動車会社を立ち上げることになった。僅か27歳の時だった。
トリノ市はミラノに次ぐイタリア第2の工業都市である、人口85万人、フィアットなどを中心とする自動車工業の拠点である。この地をかって治めたサヴォイア王家の王宮群は世界遺産に登録されている |
《ランチア・ラムダ8a概要》
ランチア社は、20世紀に入って誕生した多くの自動車会社がそうだったように、少量生産を進めながら、試行錯誤を繰り返し新製品の開発に力を入れていた。1922年にラムダシリーズを発表、1923年から販売を開始した。ボディデザインは、水平線と垂直線を基調とした、当時としては際立っていたスマートな構成美を見せた製品だった。
≪エンジン≫
エンジンは4気筒で、ラムダ独特の狭角V型形式、それも年代によって微細な変更を加え、改善を施した製品を送り出してきた。
このエンジンの特徴は10数度という極端に狭い、V型4気筒としたことで、そこから、前後の長さを極端に短く、また横幅を通常のV型エンジン巾より狭くすることができ、寸法的に非常にコンパクトなエンジンとなっている。この事がエンジンルームのコンパクト化にもつながり、細身のボディデザインに仕上げることが、可能になった。
夾角V型4気筒の形を見せている。この時代の名人芸のような作品を画く、マックスミラーの署名がある。英国誌 「The Autocar」1953年12月25日版より |
・・・ラムダエンジンの年代別シリーズ・・・
シリーズ | 年式 | エンジン容積 | シリンダー角度 |
1~6 | 1923年~1925年 | 2120cc | 13度 |
7 | 1926年~1927年 | 2370cc | 14度 |
8~9 | 1928年~1931年 | 2570cc | 13度40分 |
エンジン断面図で示されている通り、シリンダー配置は10数度都いう狭角のV型となっている。ところがヘッドは4気筒一体で、なおかつシリンダーブロックとの接合面は平らに作られている。このためシリンダーをボーリングする際は、この構造に合わせた専用工具を用いなければならない。
吸・排気管路もマニホールドとしてシリンダーヘッドに取り込んだことも。コンパクト化の要因となっている。
断面4気筒の気筒のシリンダーを交互に置き、ヘッド面は同じ平面となっている。夾角V4気筒となっている、シリンダー径 82.55mm×ピストン行程 120mm 2570cc
しかしこれらの技術は製作当時非常に高度なものであり、イタリアの少量生産技術や、ランチア社の自社鋳造技術が巧みであったことを証明している。また、シリンダーヘッド内に水路や吸排気マニホールドを配置したために熱応力や爆発力による複雑な応力が発生するが、ヘッドを固定するシリンダ―ヘッドボルトが6本しかなく、ヘッドの歪が出やすい。
≪フロントサスペンションの特徴・ランチア型IFS≫
前輪は、コイルとダンパーが内蔵されたスライデングピラーを搭載した、当時としては先進的な前輪独立懸架方式のフロントサスペンションを採用している、またこの方式の前輪独立懸架を採用するには、フロントまわりのシャシーフレームの剛性も重要なポイントとなる。ラムダの特色の一つは、時代に先駆けたモノコックボディの採用だが、このフロントまわりにも巧妙な設計がみられる。ラジエータシェルがそのモノコックの一部として利用され、フロントまわりの剛性の向上に寄与しているのだ。またこのスライディング・ピラー式のフロントサスペンションは、戦後のランチア・アウレリアに至るまで、長くランチア各車に受け継がれている。
≪濱家、所有経緯≫
ラムダは第2次世界大戦前に7台、日本に輸入されたという事であり、展示車は1930年型・8シリーズのものである。
この車は、川崎にあった大阪造船所の役員の方が使用されていたものだった。日本クラシックカークラブの会員の仲介により、譲渡が決まり引き渡されたもので、外観は綺麗だったが、エンジンがかからずタイヤもボロボロの状態で走行はできなかった。
≪幸運にもスペアエンジンが手に入った≫
エンジンを分解したところ、クランクシャフトからシングル・オーバーヘッドカムを駆動させるベークライトのギア(静粛性のため金属を使用していない)の歯欠けがあり、カムシャフトが回っていないことが判明したが部品がなく、修理は一時ストップ。
ちょうどそのころ、武蔵野市の近隣のポンプ屋さんが修理作業 のため使っていた、水揚げポンプのエンジンが、このラムダのエンジンそのもので、不要になり売り出されているとの情報が入った。
20数年前、たった7台しか輸入されなかった車両、大変な戦火を潜り抜け鉄くずとならずに残り、リペア部品として手に入ったことは、幸運というのにはあまりにも稀有なことだった。早速、前出のスペア・エンジンを軸に修理し容易にエンジン始動にこぎつけた。
≪ボディのレストア≫
しかしボディは、各所に改造が施されていた。最も大きく作り変えてあったのは、スペアホイールの取り付け位置・方法であった。オリジナルでは、スペアホイールが2本、トランクリッドに取り付けられていたものが、1本ずつフロントフェンダーに移されていた。もちろん収まりが安定するようにフェンダーにホイール巾のくりぬき穴を開け、ホイールの四分の一ぐらいを落とし込むようになっていた。
左右フェンダーの取付穴を塞ぎ、左側フェンダー上には工具箱を取り付けて、オリジナルの形に戻した。
(この工具箱は、国産トラックに使われていた工具箱が丁度良い形と大きさのものがあったので使用したものである)
折角の細身のボンネット両脇にホイールを抱え込んだ形は、ボディのサイドデザインを完全に壊していた。 またオリジナルではフロントフェンダーの裾側にあった工具箱が除かれていたので、工具と小物の収納部分がなくなっていた。 このラムダが博物館に運ばれてすぐ、先代前田館長は、ボディ全体のレストアに取りかかり、スペアホイールと工具箱をオリジナル通りの位置に復元された。 スペアホイールを2本トランクリッドに取り付けると、その重さは相当のなものとなり、トランクの開閉には苦労することがあったが、ボディサイドは非常に引き締まったスマートな形にもどったのである。
≪タイヤ≫
また更にもう一つの細かい復元の作業が必要だった。この8シリーズのタイヤはミシュラン製のメートル寸法仕様で製造されたものなので、前オーナーが所有していた戦前・戦後の時代には到底、入手不可能なタイヤだったに違いない。
前オーナー時代に、スペアタイヤとしてインチサイズの物の中から、最も寸法の近いタイヤを探したが、僅かに内径が大きめなものしかなく、リム外周に沿って直径6㎜ぐらいの丸棒を溶接し、外周寸法を12~13ミリ大きくしてこれにタイヤがはめられていた。
これは非常に危険な状態である。幸い1970年~80年代になると、ミシュラン社がこのような年代の古い車のために正規サイズを作るようになったので、6本購入し博物館に提供した。その結果、安全性が確保されただけではなく、外観が非常にスマートな元の形に復元されたので、大変満足な思いだった。
≪エンジンの始動方法≫
この年代のラムダは、後部のガソリンタンクからの燃料をエンジンに送る燃料ポンプを持っていない。始動するにはファイアーボード上方のバキュームタンクの注入口から1リットルばかりのガソリンを入れそれが重力式でキャブレターのフロートチャンバーに流れていくのを待ってから、スターター・モーターを回すのである。数日於いてエンジンを始動するときなど、フロートチャンバーにガソリンが残っていれば、すぐ始動可能であるが、チャンバー内のガソリンが蒸発してなくなっている場合は、新たにバキュームタンクにガソリンを注入しなければならない。この作業を怠ると、いくらスターター・モーターを回してもエンジンは始動しない。
≪展示説明用エンジン≫
レストアの過程で、幸運にも手に入ったスペアエンジンは、地面にに置けるように、パイプを組んだフレームに据え付けられていたので、故前田館長に「展示実車の横に、このエンジンを説明用として並べておいてはどうか」と提案したところ快諾され、直ちに実車の横に展示された。
ところがこの事がこの車両より年式の若いラムダ(エンジンの調子が悪い状態の車両)を所有していた、日本クラシックカークラブ創立当時のメンバーに知れることになり、譲って貰えないかとの話が、博物館に持ち込まれた。
困惑された故館長から相談を受けた筆者はこう答えた。
この展示エンジンは元来、展示中のラムダに搭載されていたものであって、そうしたオリジナルのエンジンは車と一緒に保存するべきものである、ということと、こうして単体で置かれているということはこのラムダの非常な特徴である狭角V型エンジンを観察できることから、博物館にとっても大いに有意義であると、と説明させていただいた。
その結果、譲渡は行われず、オリジナルエンジンは車と一緒に展示されるようになったのである。
≪燈火類など≫
フロントフェンダー先端に付けてある小さいサイドランプはオリジナルではない。それらはフランス製かイタリー製と思われるが正確には、わからないが、製造は1920年代のものであろう。
リアフェンダー後端につけた、ティル・ストップランプは日本製だが戦前に作られたものと思われる。
≪レストアが終わって≫
レストアが終わり、皆さんで試乗会。日本自動車博物館のレンガ造りの背景がマッチして、良い雰囲気を醸し出している。
本稿 了
日本自動車博物館の展示車
以 上