「もう一つの自動車史」5

自動車史キュレーター 清水榮一

  馬車が自動車にシフトした頃

はじめに

前回の当ブログ「4. エンジン3種の源流とCASE」で記したが、自動車100年を迎えた今日、自動車の付加価値はソフト志向(自動車の使い方、社会に貢献するノウ・ハウ)が一層重要になっているようだ。実はソフト志向が登場する大前提としてハード志向(メカニズム)が確立している事が社会の発展の大基本であるのは周知の処だろう。

この視点から自動車史を紐解くと、既に馬車の時代に馬車はヒトやモノの移動を津々浦々で担い、操る愉しさを叶えるハードが定着しており、その後の自動車に継承されて来た史実を識る。

自動車の種類とそのカタチは大変多いが、馬車から継承して来たハードとソフトに就いて、今回は馬車の機構やカタチを軸にその移り変わりを辿ってみよう。   

Ⅰ. 馬車の種類

    馬車の種類やその定義は国や時代によって異なるので一律に定義するのは難しいが、全体的に俯瞰すると概ね以下の様になろう。

これらの内、自動車に引き継がれたものを青文字にすると、多くの馬車の種類(呼称)が自動車に継承されている史実に改めて驚く。また青文字以外の種類でも個別の自動車名称(ブランド)に冠せられたものも多い。

(1)箱型馬車

・天蓋(屋根)を備えた箱型形状の馬車。キャビン内部にシートが備わり、車体のサイド・パネルに窓と扉が、車体の下部には懸架装置がある。箱型馬車は主に貴族等の社会的地位の高い人々が所有したが、時代を経るに従い乗合馬車が登場して市井の人々も利用する様になると同じ構造の箱型で20人以上乗れる大型車や乗合いバスも造られた。

・小型のバギー、クーペ、キャリッジ、中型のセダン、豪華仕様のサルーン、ブルーアム、リムジン、コーチ、また貨物用のワゴン、バン等がこの箱型馬車のジャンルに属し、駅馬車やホース・バスが代表的な用途であった。

・何れの馬車にも共通する点は、基本的に御者は鞭を使って操縦する為にキャビン外側のシートに座るが、身分制度が固定的なヨーロッパ諸国では乗客と御者が一つのキャビンに籠る事は文化的な違和感もあったのだろう。御者は馬車の専門知識、操縦する上での技術、運行する上での道路状況や街々の状況等に熟知しており、優れた体力と共に大きなプライドを抱いていたので、乗客と御者の社会的な棲み分けは自ずと醸成されて行ったと考えられる。   

バギー                    クーペ 
キャリッジ                    コーチ
ワゴン

(2)幌型馬車、無蓋馬車

・荷馬車は物財の運搬や農作業等に供する頑丈な構造で、シャーシ・フレームの上に荷台を架装している。荷台に簡単な幌枠を取付け、その上に幌を被せたものが幌馬車である。

・西欧ではオープン・エアーで走る事が歓ばれていたので、晴天下では幌を畳み悪天候の折には幌を張るタクシーのカブリオレや自家用高級馬車のランドゥがあった。一方、実用として人々が移動に使う安価な乗合形式の幌型馬車もあり、「家馬車」と称された。

無蓋馬車はその名の通り屋根が無く幌も張らない仕様で、主に貨物用であり、悪天候の場合はシートで貨物を覆った。

幌馬車                   カブリオレ
ランドゥ

(3)軽馬車

・一般的に箱型馬車より小型軽量で、一頭ないし二頭立ての2輪が多い。4輪仕様の場合は3~4人が乗れ、市内を走る辻馬車がこのタイプで、前方に御者が座り後方のシートに乗客が座る。タイヤにゴムを履かせたり、座席をベルトで吊ったり、金属製のバネを介して車軸が取り付けられている豪華仕様もあった。雨天に備えて折畳み式の幌も装備している。

無蓋バギー                  チャリオット

Ⅱ. 馬車の機構、速度・出力、運転制御

(1)機構

    ①レイアウト

当然だが動力としての馬が前方に、乗客用キャビンや荷物用台車は後方に配置し、馬から伝わる駆動力は4輪の場合は前輪に伝わるので自動車のフロント・エンジン、フロント・ドライブ(FF方式)に例えられよう。

自動車と同様にキャビンの位置が低いほど走行安定性と乗降性が向上する為、高級馬車の場合、全長は長くなるが前後アクスル間の中央部分(ホイール・ベース)のフレームを低く造り、その上にキャビンを載せた。この型は貴族が愛用した乗用馬車や、かのシンデレラ姫物語に登場する“夢の馬車”やランドゥ型に多く見られる。

キャビンを低い位置にセットする為にシャーシの起伏形状が複雑になるので、工作技術が未熟な初期の馬車のシャーシはフラットで荷役用馬車も広いフラットな荷台を必要とする為にシャーシ・フロアはフラットに近い。車輪は前輪軸がステア―・アクスルを有する為に後輪より小さい。

  ②ボディ構造

キャビンは木造。軽量で加工し易いが、振動、湿気・腐蝕、経年変化(痩せ、変形等)の点で強度は鋼板製より劣る。乗用の高価格馬車はコーチ・ビルダーと称する専門の職人が製作・加修し、金属製部品(アクスル、スプリング、ブラケット類、ベアリング等)や皮製品や生地や塗料は別の製造元からコーチ・ビルダーに供給された。

自動車の時代が始まって以降、殆どの自動車メーカーは1930年中盤まで、即ち金属圧延(プレス)と溶接加工技術の信頼性が安定する迄、コーチ・ビルダーにボディ製造を依頼しており、馬車の製造のノウ・ハウが自動車のボディ製造にも継続されて行った。

馬車ボディの呼称は国によって異なり、キャリッジ(Carriage 英語)、キャロッツァ(Carrozza イタリア語)、キャロース(Carrosse 仏語)等がある。

③ステア―方式

4輪以上の馬車は前輪シャフトの中央にあるピボットを中心にしてシャフト全体がステア―する。自動車の場合はボディに固定されたフロント・サスペンション・クロスメンバーの左右両端に取り付けた左右の車輪がステア―するので構造は異なる。

④サスペンション、ブレーキ

耐久性が特に必要な部分は車軸の軸受部、絶えず路面からの衝撃に曝される前輪シャフト中央部のステア―・ピボット部、前後サスペンション、そしてブレーキ装置である。紀元前1世紀末には既に車軸の回転部とステア―・ピボット部は金属製になっている。

サスペンションは皮や鎖で出来たスルー・ブレースと呼ばれる長いベルトを取付け、その上部にキャビンを固定したり、半円状のスプリングにキャビンを吊って衝撃を和らげた。まだショック・アブソーバー機能は備わっていない。

ブレーキは御者の脇にあるブレーキ・レバーを引く事によりロッドを介して後輪にシューが押し付けられ制動が掛る。馬車の先進国・英国は右側通行なので左側からの乗降性を良くする為に御者の位置は中央又は右側にあり、ブレーキ・レバーも右側にある。自動車のステアリング・ポストとホイール、メーター・クラスター、ペダル類の配置もこの影響を受けている。

⑤御者の位置、乗客用シートのレイアウト

キャビン前部の高い位置に座って馬を制御するが、バギーやタクシーはキャビン後方に立ち長い鞭で制御するレイアウトもあった。乗客用シートのレイアウトはホース・バスを除き、3人以上乗車の場合には向い合った対座のシート・アレンジが多い。自動車の様に全員が前向きに座るレイアウトはキャビンの前後長が長くなる為であろうか、馬車バス以外では殆ど見られない。

(2)速度・出力

・郵便馬車が一番速く、舗装道路上では最速で20km/h程度、草原や荒地等の悪路では15km/h以下になり、山岳地帯等の急斜面では6~8km/hと低い速度になった。速度が上がるとブレーキとサスペンションの性能も追従しなければならないが、自動車とは異なって馬の走る速度範囲は左程広くないので簡素な機構のブレーキやサスペンションでもそれなりに機能したようだ。

・馬の出すトルクはほぼ一定しているので、乗用馬車と荷馬車では牽引トルクを異なる様にする為に馬車の車輪径が異なる。乗用は直径が大きく荷物用は小さい点は蒸気機関車の動輪と同じ考え方である。

(3)運転制御

・当時の道路は未整備な所が多く、交通は“不平等”な状況だったから、急停車、急発進、急カーブが苦手な馬車はゴー&ストップの交通信号がなく緩やかに行き交う円形交差点(ラウンド・アバウト形式)が適していた。

・御者は馬車を安全に巧みに操る経験と技術が必要であった。とりわけ自家用馬車の場合は主人の階級や家柄によって馬車も優先順位があり、実力者やセレブを乗せた馬車は注目の的で、御者が馬を操り颯爽と走らせる姿も民衆の心を掴んだ。

優秀な御者は引く手も多かったが、中には自分で手綱を握る主人も現れて技を競うようになり、スピードを競うレースとは別の巧みに馬車を操る技を競うホース・スポーツが人気を博した。

Ⅲ. 馬車と自動車の用途比較  

(1)駅馬車(Stage corch)

Stageは「運行経路上にある駅間の行程」の意だが、「旅行者が休憩したり疲労した馬を交換する場所」の意味に変化して行った。駅馬車は都市と都市の間を定期的に運行し、乗客は定められている駅で乗降する。駅馬車には用途別に普通馬車、急行馬車、荷役馬車、郵便馬車があるが、長旅の途中で盗賊等に襲われる危険にも曝されていた。

①普通便

 乗客は事前に決められた区間の切符を買い乗車する。事前の予約制もあるが、基本的には予約なしで空いていれば乗れる。携行荷物の重量制限がある(1人当たり20kg程度)。馬車の構造は木製の箱型。米国ではセントルイスとサンフランシスコの間を22日要した。1852年にカリフォルニアで最初の駅馬車強盗事件が発生、またインディアンの襲撃も乗客の肝を冷やした。

②急行便

普通馬車のほぼ倍の速度で走り、1日に100km以上の距離を往く。基本的に予約が必要。早朝に出発して夜中まで走る事で距離を稼ぐ。悪路を急ぐ為、乗り心地は極めて悪く、馬の疲労も大きかったのでそれぞれの駅で馬を取り替えた。

③荷役便

荷物の積載用馬車であるが、一般の客を乗せる車もあり、その場合は荷物とまったく同様の扱いを受け、乗車距離と乗る人間の体重で料金が決まる。座席がないので乗り心地は悪いが料金は安い。馬車の構造は幌馬車。

④郵便

手紙や小包などの郵便を積載し、急行馬車と同程度の速度で走る。乗客はごく少数の完全予約制。郵便物を強盗などから守る目的で武装した警備員が乗務する。時間を厳守し一日150km以上の距離を走破する。郵便馬車は時刻を守ることが最も重要。旧くは1784年当時、ロンドンからブリストルまでの約200㎞を約17時間(平均時速約12㌔m)で走っていた。

(2)乗合馬車

・街の中を定期的に運行する。運賃が安く大量の人員を運べるので一般市民の移動手段として最適。但し上流階級の人は自家用馬車や貸し馬車を利用した。一定の路線を一定の時間間隔で走る。乗客10人程度の小型馬車から2頭立て20人以上の大型馬車があり、駅馬車のように屋根の上にも乗客や荷物を乗せることが出来、2階席は屋根が無いので料金は安価。都市によっては路面馬車もあった。

・路線の権益問題が複雑なので個人ではなく企業が経営。

(3)辻馬車

・現在のタクシーに相当する。市内の大通り沿いや大劇場等の周辺に止めて客待ちをしている場合が多い。乗客は目的地までの移動距離に基づいた料金を支払うが、距離の算出は街中の標識類や馬車に着けられた距離計による。待ち時間や乗換えの必要がないという利点があるので乗合馬車よりは割高な料金となっている。基本料金に料金を追加すれば指定時間に指定場所に来てくれる。また観光のガイドを行う御者も居た。

・辻馬車は個人の経営で事前に組合や自治体に営業許可を貰う登録制となっており、馬車に登録番号が与えられる。箱馬車(ボックス型)は少なく、二輪や四輪の軽馬車が多い。

(4)貸馬車

・辻馬車とは異なり、裕福な人間が利用するのが貸し馬車。馬車だけを借りる事も出来るし御者をつけてもらうことも可能。辻馬車より良質な装飾が施されて居り、御者もキチンとした格好をして礼儀を弁えており乗り心地も良かった。

・貸主は数頭の馬を常に飼い餌代や飼育係と御者の人件費が経費の主なものであった。貸馬車の多くは貴族が自家用として使った箱型馬車の中古を使った。貴族制度がない国や制度改革で名誉階級になった貴族の国に存在した。

                      次号に続く

                                      

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