「時空を超えて」 6

デザイナー 梅田晴郎

筆者略歴

元トヨタ自動車デザイナー・鹿児島大学教授を経て現梅田晴郎 事務所主宰

1943年 埼玉県生まれ1966年、東京教育大学教育学部 芸術学科卒業。 同年トヨタ自動車工業株式会社入社。デザイン開発部署にて , 「マークⅡ」「スターレット」「セリカ」 「MR2」「コロナ」等の外形デザインに携わる。1987年、デザイン企画業務を担当。1990年トヨタ東京 デザインセンターにて、担当部長として、デザイン企画、デザインマーケティング業務他を担当。1998年鹿児島大学教育学部美術科及び大学院教授。2005年より現職。

6、美しい”と“キレイ”」 1999年2月29日

先日、鹿児島県主催の鹿児島の景観を考えるシンポジウムが開かれた。「愛着と誇りの持てる個性豊かな美しい景観づくりを目指して」が趣旨であり、会場にたくさんの事例が写真パネルとともに紹介されていた。

屋久島や海岸などの自然そのものと、人の手が加わった田んぼや茶畑などの田園風景、鹿児島市鴨池新町のオフィスビル街や知覧の武家屋敷などの街並みである。美しい景観が多かったが、町並みの事例にはモノ足りなさを感じた。

展示されていた「鴨池新町のオフィス街」は新しくてキレイであるが、そこを散策する人の姿はない。町並みがワンパターンで、歩いていてもおもしろくないだろうし、立ち止まって見るべきものもない。

「知覧の武家屋敷」も、古くてもキレイであるが、そこに生活している人の姿はない。そこに住む人々が、陰でガマンして生活しているように見える。街の景観維持には相当費用もかかるだろうから、楽しく、誇りをもってそこで生活していなければ、長続きするわけがない。

以前知覧を訪れたおり、小学生が三人ランドセルを背負ったまま武家屋敷の門に座って談笑しているのを見かけたが、とても絵になっていた。そんな写真の展示がほしかった。何よりも人影のない街の景観はキレイでも寂しい。

シンポジウムの趣旨の中に会った“美しい”は“キレイ”とは違う。“キレイ”はその時だけ、“美しい”は時間の経過を含む厚みを有すると考える。美しい街は時間的厚みを持っている。景観の中に過去と現在と未来が共存していて老若男女の人の姿がある。

日本人はキレイとは違う美意識を培ってきた。例えば“ワビ”“サビ”。表面の質素の背景に隠れる華やかさを有する厚み、時間的厚みなど、多層的美しさを評価できる民族である。

「日本人は、美しいものに敏感で、醜いものに鈍感。イギリス人は美しいものに鈍感で醜いものに敏感」と聞いたが、これは当を得ていると思う。

“キレイ”は醜さを排する努力で達成できるかもしれないが、“美しい”に達するのは難しい。人間も同じだ。

          「南日本新聞」 1999年3月16日付け より転載

                        次号に続く

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