「もう一つの自動車史」9

     自動車史キュレーター 清水榮一

6、 アメリカの時代と自動車(その4)

        コ ン テ ン ツ  (目次)    

   分割掲載(全4部・今回は青文字の項を掲載

Ⅰ. アメリカ自動車社会の印象・・・・・・・・・・・・・p.

Ⅱ. 人々・企業・国家そして自動車・・・・・・・・・・・p.2

     (1)人々、企業、国家の連携活動く・・・・・・・・・p. 2

      (2)自動車は人々の思想と価値観を映す鏡・・・・・・・p. 3

Ⅲ. アメリカの発展プロセス(要約)・・・・・・・・・・p.4

Ⅳ. アメリカ社会の思想と価値観・・・・・・・・・・・・p.7

    (1) 実用主義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p. 7

 (2)人々の大移・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p. 8 

 (3)アメリカ音楽の多様・・・・・・・・・・・・・・・p. 9

Ⅴ. アメリカの道路事情・・・・・・・・・・・・・・・p.11

Ⅵ. 良き時代のアメリカの自動車産業・・・・・・・・・p.13

1.アメリカの人々が乗用車に寄せた夢・・・・・・・・p.13

2.アメリカ自動車企業の特徴的な活動・・・・・・・・p.14

 (1)作業工程の合理化と価格引下げ・・・・・・・・・p.14

 (2)画期的なマーケティング戦略・・・・・・・・・・p.15

    (3)組織と企業風土・・・・・・・・・・・・・・・・p.17

    (4)デザイン戦略・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.18

   (5)ボディ&ユニット戦略・・・ ・・・・・・・・・・・p.23

おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.26

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

第3回目に続いて、今回もアメリカ自動車産業の特色とその根底に存在したアメリカの人々と企業と国家の動き、そして僅かながら、そのバック・ボーンとなった思想や価値観もお浚いしてみたい。どうか独断と偏見をご容赦戴き、忌憚のないご意見を戴ければ幸いです。

18世紀半ばから19世紀に花開いた産業革命ではイギリス、フランス、ドイツが大発展を遂げたが、20世紀前半の2度の世界大戦後ではアメリカがイニシアティブを執った。因みに世界の自動車生産台数は第一次世界大戦前後(1910年代中期~1920年代初期)と第二次世界大戦前後(1940年代初期~中期)は、その約8割がアメリカ製だった。この背景にどの様な要因があったのだろうか? 

(4)デザイン戦略・・・・・需要創造のカナメ

①ボディの種類

・アメリカではユーザーの要望に沿う様に旧くから乗員数とルーフの材質(幌か鋼板)に基づき、概ね8種類のボディ・タイプがあった。以下に示すボディ呼称は必ずしも一つのボディ・タイプだけを称するのではなく他のタイプでも共用される場合もあった。乗車定員が2名以下の用途は若い2人や幼児が居る家族用、3名前後は家族用、4名以上は法人や営業用。運転席の上にトップが無いのは馬車時代の御者の名残である。

・概して小型車よりも中型車と大型車の割合が高いのは、広大な移動空間に適した居住性を持つ商品を志向する顕れだろう。だが1950年代後半にはヨーロッパ製の輸入小型車(例:VW、ルノー4cv)がセカンド・カーとして増え始めた。

・第二次世界大戦後、ヨーロッパでは航空機のモノコック・ボディ技術を自動車にも転用してボディ重量軽減と剛性を高める為にシャーシを持たないモノコック構造を試作したり、ルーフ・トップの素材をキャンバス製(ソフト・トップ)からスチール製に変更した。

しかしアメリカ車は1960年代以降も従来からのシャーシ付きボディを継続した。理由はセンター・ピラーレス・4ドアー・ハード・トップ等のボデー・バリエーションを多く設定可能で、モデル・チェンジもタイムリィに出来、大型化とデラックス化への対応が工数的にも原価的にも圧縮出来る為であった。一方、これに伴うボディの重量増加はエンジン出力を上げる事で対応した。アメリカの自動車課税は欧州や日本とは異なって排気量基準ではなく、極く普通の耐久消費財であった。

 

②アメリカ乗用車のカタチの変遷

 ・現在の自動車は居住・積載空間を大きく採る事を優先するので、ボディ形状が箱型になるが、基本的に自動車は次の5つのコンポーネンツで構成され、エクステリア・デザインはこの5要素を如何に組み合わせるか?という葛藤の歴史とも言えよう。

①居住(乗車)空間 ②エンジン・ルーム ③トランク(ハッチ)・ルーム ④タイヤ・ハウス ⑤サスペンション

 ・自動車のエクステリア・デザインは 当初は個々のコンポーネンツのデザインから出発し、徐々に機能性、安全性、収益性などを加味しながらその時代が産み出す美的感覚に沿った進化を続けて来た。

とりわけ画期的なデザインとして、従来独立していた4つのフェンダーが前後のドアーやボンネットやリァ・トランクと一つのマス(塊)に統合され、サイド・ステップが無くなって横方向の居住空間が広くなった。カイザー(1947年)、ハドソン(1948年)、フォード(1949年)が”フラッシュ・サイド”と称して人気を博した。

以降、1960年代にはアメリカ経済の好況と政治の安定と国防の安定と個人の見えを反映してテール・フィンが着くデコラティブなカタチになり、併せて夢の世界を連想するブランドを冠する様になった。

・以下に1950年の”フラッシュ・サイド”時代を経て、1960年代の“テール・フィン”時代に至る主なカタチの変遷を簡単に辿る。

③デザイン・マネジメントの推移(要約) 

  <ⅰ>1920年~1940年代

・人々の自動車に寄せる大きな期待(夢)を叶えるべく、1920年代には全米ベースでハィ・ウエィ政策が本格化し、自動車業界は割賦販売と中古車再販売も充実し、スチール製ボディ、空気タイヤ、スターター・モーター等の技術と素材品質が向上した為に、全需は著しく増大し、1923年には約4,000千台/年を突破した。因みにこの数字は45年後(1968年)の日本の生産実績とほぼ同じである。1928年のGMの売上台数は1,811千台、売上高利益率(税引前)は21.22%であった。

1929年の世界恐慌期には高級車の比率が低下したが経済が回復した1940年頃、つまり第二次世界大戦寸前には恐慌直前の比率(約60%)に戻り全需も増大した。

・GMは1926年にアート&カラー部門の責任者にハーリー・アールが就いて翌年に最高級車のラ・サールをリリース、1937年にデザイン部門名を“GMスタイリング”とし、人々の自動車ニーズにメンタルな要素(デザイン性)が多くなって来た状況に対応した。1940年に彼は副社長に昇進、1944年に「モトラマ」(Motorama)と称する大規模なドリーム・カーのイベントを実施。全社的な視野からエンジニアリングとデザインを有機的に指揮した。

・フォードはH.フォードの息子・エドセルは1922年にリンカーン社を買収してキャディラックと同等の高級車をリリース、その後、T型とリンカーンの中間ブランドとしてマーキュリーを発売した。彼はデザインにも明かるく、リンカーンの成功は当時のコーチ・ビルダーとの合作として評価された。

     <ⅱ>1950年~1960年代

・第二次世界大戦直後は鉄鋼不足の為に減少したが、終戦から3年を経過した1948年以降、高級車の比率は恐慌以前の比率に戻った。そして1955年以降、ボディ・サイズは一段と大きくなり、車種ブランドとバリエーション(例:ハード・トップ、ステーション・ワゴン、コンバーチブル等)が拡大し、エンジン排気量と出力も向上し、パワー・アシスト機構(例:パワ・ステ、ブレーキ倍力装置、オート・クルーズ等)が普及し、ボディ・カラーやアクセサリー類も増えた。 同時に1956年頃からヨーロッパや日本や韓国からの輸入車を意識してコンパクト・カーの開発も進められていた。1960年以降、小型車は約30%に増加し相対的に中型車(と言っても日本車の感覚からすれば大型なのだが)の割合が減少し、フォード・エドセルやクライスラー・デソート等は生産を中止した

ビュイック スーパー8 1950年 (日本自動車博物館展示)        マーキュリー コンバチ 1957年 (日本自動車博物館展示)

 ・1960年代、アメリカの経済は圧倒的な底力を有し、核兵器と軍事同盟網を背景に強大な政治力を発揮、パックス・アメリカーナの絶頂期であった。因みに国民総生産と平均的世帯所得は1945年から1970年迄の25年間の実質値で約2倍になっている。

偉大な軍事力はアメリカの代表的なシンボルになり、自動車のデザインにも大きく影響し、航空機はレシプロ・エンジンからジェット・エンジンに替った。自動車のエクステリア・デザインも戦闘機や超音速航空機(コンコルド)をモチーフとする表現に発展した。

 ビュイックのコンセプト・カー・カーXP-300                     GMのフューチャー・カー 1954年  (作画)  
V8・スーパー・チャージャージド・335HP  1950年 (作画) 
                                       
                          

・GMでは1958年にデザイン部門のW.ミッチェルが副社長に昇格、“未来の車(FUTURE DESIGN)”を掲げる等、デザイン戦略が企業の極めて重要な役割を果たす様になった。

リアー・フェンダーの尾翼は1948年発表のキャディラックからで、1950年代半には殆どの車に“尾翼”が生えた。同年、ビュイックは4ドアー・センター・ピラーレスを発売してバリエーションを拡充した。

キャディラック  1948年  尾翼の始まり  (作画)          シボレー・インパラ 1959年型 (広報資料)

  

・フォードが意欲を込めて1949年に発売した1950年型フォード・カスタムは戦後初の本格的なフラッシュ・サイド・モデルで人気を博した。単にデザイン的に新しいのみならずサイド・ステップが無くなった事で室内幅とエンジン・ルーム幅が広くなった。

更に1955年にはデザイン担当副社長のジョージ・ウオーカーがサンダー・バードを成功に導いている。

しかし、競合相手GMのブランド・ピラミッド車種は多種多様であり、フォードが好評を博しても、ビュイック、ポンティアック、オーズモビルに対抗するミドル・クラスはマーキュリーだけであった。逆に観るとGMはデザインによる差別化を完全に徹底していたと言える。

そこでフォードはコストを抑えた新型のエドセルを1957年に発売、奇抜なデザインで勝負に出た。加えて1964年にはコンパクト・カーのフォルコンの部品を流用した新ジャンルである“パーソナル・スぺシァルティ”のマスタングを発売した。

フォード・カスタム 1950年型(広告)                    フォード・エドセル  1957年  (作画)

・クライスラーは第二次世界大戦後もモデルのデザインは戦前の延長にあったが、1956年にアドバンスド・モデルのクライスラー・ダートを発表以降、派手で大きな尾翼を持つデザインに大変更したので、マーケット・シェアーは従前の13~17%を脱して1957年には20%に向上した。

かのレイモンド・ローウィのデザイン・スタジオでスチュード・ベィカー社のエクステリア・デザインを担当し、その後クライスラーに移籍したヴァージル・エグスナーの功績が大きい。


クライスラー・ダート 1956年 (作画)               クライスラー・デソート 1957年 (作画)

④デザインの特徴(1950~1960年代)

<ⅰ>エクステリア       

・1930年代、空力スタイルを量産車に取り入れたクライスラー・エアーフローやアール・デコ調の最高級車コード・810は話題となったが自動車業界全体としてデザイン戦略が販売台数に効果を創出し始めたのは第二次世界大戦終了から5年後の1950年型フラッシュ・サイド登場からであろう。

当時、人間が操縦する最速の乗り物はジェット戦闘機だった。自動車も限りなくジェット戦闘機のイメージをデザイン化し始めた。

1950年にはどのメーカーの自動車もリャー・フェンダーに尾翼が生え、フロント・グリルは大型バンパーとラジエーター・グリルが合体したバンパー・グリルとなり、ジェット・エンジンのエアー・インテーク部を連想させる大きな開口部となった。

 1960年に入ると“尾翼ブーム”は一巡し始め、コーク・ボトルの形状を模した7リッター級の大馬力の“マッスル・カー”が登場、クライスラーのダッジ・ダート、フォード・サンダーバードなどが代表的だが、排ガス大気規制法と全米自動車安全基準が成立し、更に1973年のオイル・ショックに伴うガソリン価格の高騰に拠って姿を消した。


コード810 (作画)                       戦後初の“未来の車” ラ・サール(広報資料)
 

エクステリァ・デザインの特徴 (広告に基づいて作画)

 <ⅱ>インテリア 

長時間のドライブで疲れない様な居住空間と装備が備わったが、シート地やドアー内張り等の素材は特別な高級品ではなく、耐久性に富んだ素材と派手なデザインが多い。       


ビュイック・ロードマスター1949年のインテリアとシート (カタログ)  
 

(5)ボディ&ユニット戦略・・・・・高出力、イージー・ハンドリング、居住性に重点

・アメリカがヨーロッパ先進国にキャッチ・アップして行く時代にはヨーロッパ車との差異は少なったが、第二次世界大戦後に世界を牽引する様になり経済も概ね好況であった事を反映して乗用車は年々大型且つ華美になって行った。

・エンジン、パワー・トレ-ン、フロアー・パン等の新開発ユニットは各ブランドに於ける高額な車種から順に採用するのが基本原則であったが、中下位ブランド・グループのイメージ向上を図る為に、敢えて高出力エンジンを搭載する等のケースも見られた(例:シボレーのスポーツ仕様)。

・大型車は高額な価格を設定出来る為、中小型車より収益性が良い。因みに台当り利益は小型車の3倍以上と言われた。

基本となるプラット・フォームに大きな変更をせずにリア・オーバーハングを長くする事によって安価に全長を延長する一方、ブランド別需要ピラミッド(上級移行戦略に於ける車種のハイラルキー)のメイン・ブランド(例:シボレー等)を更に細分化したサブ・ブランド(例:ベル・エアー、ツー・テン等)を複数設定してバリエーションを増やした。

  ①高出力エンジン

・アメリカの自動車メーカーは20世紀初頭からシリンダー容積拡大とシリンダー数増加によるエンジン高出力化に積極的であった。アメリカの殆どの州の自動車税制が排気量に基づいていない点も、この傾向を助長した。ある意味でアメリカのモータリゼーションが欧州より早期に拡大・浸透して行った故でもあろう。

・V8エンジンはGMが1915年にキャディラック、その後1917年にシボレーに搭載された。その後、1932年にフォードも搭載し3年後には国内仕様は全てV8に統一している。

第二次世界大戦後、高級車は複雑なV型12気筒が影を潜めてV型または直列の8気筒に、中級車も直列6気筒からV型8気筒に移行し始めた。1947年にスチュードベイカー、1948年にオールズモビルとリンカーン、1949年にキャディラック、1951年にクライスラーとパッカードにそれぞれ搭載された。

フォードも初代のV8に替るOHVのV8を投入し、GMの中堅クラスのビュイック、ポンティアックも1950年中盤までに、シボレーやプリムス等の大衆車も1950後半にはV8が主流になった。その結果、1969年型の乗用車の約9割がV8を搭載している。

・V8エンジンは直6エンジンに比較して全長が短いのでエンジン・ルームのフャイヤー・ウオール部を前進出来る為、キャビンの長さも前方に延長出来、前後輪の重量バランス設定に貢献する。

燃費は良くないが、アメリカは石油資源を豊富に採掘出来たし、1960年代末まではドルも強く、所得水準も平均的に高かった為に燃費の多寡は問題にならなかった。

・高出力エンジンと相俟ってエンジンの振動を抑える為の装置も古くから開発されていた。プリムスは1932年にフローティング・パワーと称するエンジン・マウントを商品化している。

シボレーに搭載のV8エンジン 1917年    キャディラックの第二世代目V8エンジン 1949年    プリムスのフローティング・パワー (広告)
 

  ②イージー・ハンドリング

・「自動車という機械を簡単に安全に動かしたい・・・」という願望は誰にも共通であろう。ましてや文明の制術下アメリカ社会では初心者や女性や年配の人々にとっては尚一層強い傾向だろう。

自動車の運転操作を早く習熟するコツは各部のメカニズムを知っておく事に加えて、基本的な力学を心得ていると効果的と思うが全ての人々には難題だろう。そこで誰にでも解り易く少しの力加減で正確に操作出来るデバイスが必要になる。

とりわけアメリカの人々の自動車生活は欧州や日本のそれとは異なり、日々の自動車と共にする時間が長く、その回数も多い。だから自動車は電機洗濯機や電機掃除機や電気ミキサーと同様に簡素なハンドリングが歓ばれたのである。欧州の様な専門的、クラフトマン・シップ的な取扱要領やメインテナンス知識等は商品価値観の外側にあった。

 ・次の広告をご覧戴きたい。どの広告も旧いものだが、いずれにも共通している点は「取り扱いがラクなクルマです!」という訴求で、既に1900年代初頭からイージー・ハンドリングを志向している事が解る。

これらの作動はドライバーによる機械的な操作(例:手でワイヤーやロッドを引く、脚でペダルを踏み込む等)であったが、次第に電力(バッテリー)、シリンダーやマニホールド内の気圧、エンジン回転、油圧等を利用して作動する仕組みに替って行った。因みに電子制御が広く登場するのは1980年代になってからである。

キャディラックの広告              オート・カーの広告               ティラー社の広告

 ③居住性

・“動く応接間”としてインテリア装備品と柔らかな乗り心地に重点を置いている。最も典型的な装備はラジオやテレビ、更にクーラー(その後はエアー・コンに進化)、分厚いシートとクローム・メッキを多用した派手なフェシアであろう。

・居住性の良さは豪華な装備に加えて、ボディ構造、エンジン特性、パワー・トレーン、ステアリング、サスペンション、ブレーキ等の素材と構造の総合的な味付け(相互関連バランス)に負う処が大きい。

高出力のエンジン、柔らかなニー・アクション構造のサスペンション、長めのサスペンション・ストローク、堅牢なボディ剛性等がアメリカ車の特徴である。


  オールズモビル エアー・コン・システム 1953年 (カタログ)          キャディラック  フロント・ニー・アクション・サス  1934年 (作画))
 

 
 

ボディ&ユニット戦略(総括)

  高出力・安定性・走破性 イージー・ハンドリング         居住性
          ボディ構造 ・重心を極力下げる(エンジン、シャーシ―、フロァ、シート等) ・フロントとリァーの重量配分を均等にする(例:クライスラー・エアー・フロゥ 1933年) ・フレーム付きボディからぺリメーター・フレーム(1950年代)、その後にモノコック構造に移行 ・クラッシャブル・エリアとキャビン・エリアを明確に区別 ・プラット・フォームとボディ・シェルの適用車種拡大(例:Kカー、Xカー共用) ・衝撃吸収ボディ、衝撃吸収バンパー ・ドアー・ビーム ・防錆鋼板と防錆塗料の採用、スポット溶接の精度向上   ・点検し易いエンジン・ルーム ・空気抵抗を低く抑える(フロアー形状、ボディ形状等) ・マイナス・スクリューからプラス・スクリューへ   ・全天候型スチール・ボディ ・ホィール・ベース内にフロントとリアのシートを配置 ・エンジン、パワー・トレーン、サスペンションから発生する振動をシャーシやボディに伝えないマウント方式 ・良質な防音材、吸音材 ・視界の良いラップ・アラウンド・ウインドゥ
      エンジン&補機   ・大出力(大排気量)のV8が主流 ・出力向上はエンジン周辺機器(ターボ、OHC等)では原価高となる為、ボアとストロークを拡大する手法を採用。設計段階で将来のボアとストローク拡大に備えてエンジン・ブロックを肉厚に ・燃料消費は石油大国の為、問題は少ない ・電子制御デストリビューター   ・フリー・メンテナンス ・フラットに近いトルク発生 ・オート・チョーク   ・クルーズ・コントロール  ・遠隔エンジン始動装置 ・オイル粘度適用範囲の拡大 ・直流発電から交流発電へ   ・V8は直6よりエンジン長が短いのでキャビン長の拡大に効果的 ・エンジン・マウントの改善 ・クーラー・コンプレッサー等の 冷却システム搭載 
    パワー・トレーン ・エンジンの大出力と走破耐久性に富んだ構造 ・4WD ・シンクロメッシュ・ギアー  ・電磁クラッチ  ・オートマチック・ミッション ・オーバードライブ・ギァー        ・完全な音振対策
ステアリング ・クラッシャブル・ステアリング・ポスト ・エアー・バッグ内臓   ・パワー・ステアリング   ・アジャスタブル・ステアリング・ハンドル(ポスト角度、シャフト長)
      サスペンション ・ショック・アブソーバー(ディスク摩擦、油圧等) ・フロント・ニー・アクション(Wウイッシュ・ボーン方式) ・コイル・スプリング ・エアー・サスペンション ・セルフ・レベライザー ・セルフ・レベライザー ・フロント・ニー・アクション  (Wウイッシュ・ボーン方式) ・コイル・スプリング ・エアー・サスペンション ・セルフ・レベライザー ・高扁平率タイヤ  
  ブレーキ ・油圧ブレーキ ・パワー・アシスト・ブレーキ(ブレーキ・ブースター)   ・油ブレーキ ・パワー・アシスト・ブレーキ(ブレーキ・ブースター)   ・ステッキ型サイド・ブレーキ・レバー
    インテリァ、装備 ・リトラクタブル・シート・ベルト ・エアー・バッグ(ダッシュ・ボード、サイド・ガラス等) ・パワー・ウィンドゥ ・パワー・シート・スライド ・多機能スイッチ・レバー ・ヘッド・ライト自動切換 ・クーラー、エア・コンディショナー   ・電磁ドアー・ロック ・電動サンルーフ ・シート・ヒーター ・アンチ・サングラス  

クライスラー 1927年 (日本自動車博物館展示)         ポンティアック6 1929年 (日本自動車博物館展示


 リンカーン・コンチネンタル 1966年 (日本自動車博物館展示)      キャディラック デビル 1968年 (日本自動車博物館展示

おわりに 

 *お読み戴き有難うございました。

「自動車の愛好家が自動車の歴史を研究したり愉しんだりする際に、この様な視点があっても良いだろう」と考えて筆を執った次第です。拙い記述にも拘わらず、4回にわたってご覧戴き感謝致します。 

まだまだ記述したいのですが、紙面の都合もありますので今回はこの辺で失礼させて戴きます。

*歴史研究は過去との対話です。

“現在”という時制に生きる我々は、突然或いは偶然に“現在”を生きていたり思考しているのではありません。ですので”現在“と”過去“との関係を広い視野から眺める事によって歴史の本質に少しでも迫れるか?と考えます。更に未来を展望するには、”現在“が時間の推移と共に次第に”過去“となって行く過程で、当初の”過去“が次第に変貌して行く姿を捉えたいものです。何故なら”過去“を見る眼が新しくなっていないと”現在“の真の新しさを十分に理解出来ないのではないかと思うからです。この記述も時間が経つに従って次第に旧くなりますが、「こんな見方もあったのか・・・」という発想に繋がれば幸いです。

*眼前の事象の背景に潜む事象に分け入ってみましょう。

「氷山の一角」という表現があります。「眼前の事象は小さいが、この背景に大きい事象(背景)が潜んでいる」との意味です。

本稿は前半分で、人々、企業、国家の連携活動、人々の思想と価値観と自動車、アメリカの発展プロセス、アメリカ社会の思想と価値観、アメリカの道路事情の合計5項を充て、後半分で良き時代のアメリカの自動車産業(実例)を記しました。後半分の内容は概ね眼に見えるし、自動車愛好家には興味深い内容なので理解し易いでしょう。

一方、前半分は目に見えるものありますが、抽象的、観念的な部分は目に見えません。前半分の諸々の史実が後ろ半分の史実に大きく影響を与えている事は眼に見えないだけに尚一層忘れられ易いものでしょう。しかし、自動車の歴史に触れる愉しみの一つは、これら前半部と後半部の相関性を頭の中で繋げる事だと私は思います。

*日本自動車博物館に出掛けて、展示車をジックリ見学して下さい、次の様な問いを心に秘めて。きっと新しい自動車史が見えて来ます。

・「何故この様な機構やデザインになったのだろう?」           

・「当時のアメリカの人々はこの車をどの様に使って生活していたのだろう?」

・「当時の自動車の生産や販売の体制はどうだったのだろう?」

・「アメリカの自動車産業の特徴はどの様な点だろう?他の産業との関連性は?」

・「アメリカが国家を挙げて自動車社会を振興した政策はどの様なものがあったのだろう?」

・「アメリカのモータリゼーションは欧州、日本、発展途上国にどの様な経済効果を齎したのだろう?」

・「今後、自動車を取り巻く世界はどの様になって行くのだろう?」

 *史実の客観性を訪ねる旅を。

フラッシュ・サイドのエクステリア・デザインを纏ったフォードや尾翼の生えたビッグ・スリーの乗用車は突如出現したのではない。アメリカの人々が長年歩んで来た過程で人々、企業、国家を包括する社会全体のシステムがその様な自動車を世に送り出し、広く活用して来たと考える・・・つまり尚一層、客観的な視点から歴史を模索すると愉しく、また意義深くなるのではないでしょうか。 

その為には、まだまだ記述が量的に少なく質的にも不十分なのですが、一先ずこの辺で筆を置かせて戴きます。

では、自動車史の客観性を訪ねる旅にお出掛け下さい!

―了―

第4回(最終回) おわり

関連記事一覧

PAGE TOP