濱素紀氏名車を語る その3          

筆者略歴

濱素紀  1927年生まれ、東京都武蔵野市在住 

・1953年 東京芸術大学美術学部工芸科鍛金部卒業

・1955年 同工芸計画科修了

自宅に、濱研究室を開催、日本でFRPの成型法を

マスターした初期のひとり。

・1964年から1998年まで東洋大学工学部機械工学科と建築

学科で、デザイン論、美術史などの講座を担当。

・1974年から1998年まで名古屋芸術大学美術学部デザイン科で

FRP成型法 を教える。

ALVIS-スピード20

<アルヴィス社の発祥>

アルヴィス社は、T・Gジョンにより1919年に英国、コヴェントリー市に設立され、名前を変えながら1967年まで存在し、生産を続けていた。

 1928年には、1.5L、SOHCエンジンでルマンレースに出場し、6位と9位に入っている。また同年のアルスターT・Tレースでは、ルーツ製のスーパーチャージャーをつけ出場、2位に入りスポーツレーシングカーの評判を得ている。

シャーシはホイルベース259cm、前輪1/4楕円のリーフスプリングによる独立懸架、ソレックスシングルキャブレータ、スーパーチャージャーは常時駆動、点火はマグネット点火のみでコイルを持たない。 この車両の駆動形式は、アルヴィスFWD(フロント・ホイールドライブ つまり前輪駆動の意味)と呼ばれ非常に貴重な例として高く評価され、英国を中心熱烈な愛好家によって、現在でも少数が存在している。

1928 Alvis 14/45 Saloon
1931 Alvis 12/50 TJ  Sports  

*三樹書房  街角の車たち より転載

<濱徳太郎が持ち帰ったアルヴィス>

濱徳太郎は、戦前英国に遊学した際に1台購入し、勤務していた帝国美術学校の、デザイン科の学生にボディデザインの教材として、活用していた。

 徳太郎没後に、ホンダ・コレクションに望まれて購入され、英国のアシュトンケインズ・レストレーションに送られ完全にレストアされ現在動態保存の状態にある。(次号で紹介予定)

<もう1台のアルヴィス>

 アルヴィス社の1930年代のスポーティー・サルーン、スピード20が1935年(昭和10年)に輸入されている。

 購入されたのは李健公、(李王朝の末裔、戦前は日本の皇族の扱い)英国のアルヴィス社に注文され、昭和10年に到着している。

 氏は大層気に入られた様子だが、国内の道路は大都市を少し離れると忽ち砂利道となり直線道路も少なく、スピード20の本領を発揮できるような状況ではなかったことを嘆いておられた。

 またこのようなスピード20をめぐる氏の非常にプライベートな貴重な逸話を、氏がご自身で執筆された「わが青春の車たち」の中に告白文のような一文をあらわされている。

 大変恐縮な思いでその一文のコピーをここに紹介する。

—————————————————————————–

 ALVISという語は人名でもなく固有名詞でもない。

アルヴィス社が作った新造語だろう。またアルヴィスのカタログには非常に大きく「ALVIVACITY」という単語が見出しに書かれている。これも新造語で、元気とか、活力を意味するらしいという解説を聞いたことがある。

 研究社刊の新英和大辞典の中にものっていない。

————————————————————————————————————    

                  本稿了

                  次回に続く      

日本自動車博物館提供 資料

<日本自動車博物館 展示車>

アルビススピード20

《現代によみがえったアルヴィス》

1967年生産中止となったアルヴィスだが、2017年になって同タイプの車種を生産することとなり、日本では以前アルビスを扱っていた明治モータスの親会社である明治産業が再び取り扱うことになった。以下取り扱いの6車種をご紹介する。

4.3Lバンデンプラ・ツアラー


3Lグラバー・スーパー・クーペ


4.3Lベルデッリ・スポーツ・サルーン


3.0Lグラバー・ガブレオレ


4.3Lランスフィールド


3.0L TE21パークウォード・ドロップヘッド・クーペ

明治産業株式会社 リンク先》

                        以 上

関連記事一覧

PAGE TOP