話すのは苦手でね 3

板金職 鈴木孝一氏の話 第3回 インタビュー:三重宗久

<長板を曲げる技術>

 でも京成自動車の4年間では、いろいろ教えてもらいましたね。たとえばバスの屋根のサイド部分は平らな板を曲げて作るでしょ、あれは最初からそのように曲げるんじゃないんですよ。平らな板をカーブに曲げる時は一気に曲げるんじゃないんですよ。

 まず板の裏側(材料に表裏がある)に大きく曲げて、そのあと逆側(表側)に再度曲げると、縦すじが少なく、きれいにカーブができるわけです。多少のすじはパイプなどの上に置いて、30センチぐらいの木でならしていけばとれますけどね。一度反対に曲げることを、なめすっていってましたけどね。

 そのバスの屋根のサイド部を曲げるのはね、今はローラーなどを使いますけど、その頃っていうのはね、作業台の両端にブラケットで小径のパイプを固定します。その台とパイプの間に少しずつ入れていって曲げるんです。その部分の板は大きいんで、二人でやるんですけど、タイミングが合わないときれいに曲げられない。すじができます。縦にできたすじっていうのは、空の酸素瓶の上で、拍子木(木の棒)でなめしてとります。

<ビードが語る 職人の技術>

 溶接もね、先輩たちは仮どめしないでパッとやっちゃうたとえばバスの先端部分は三分割で作るんです。それを合わせて溶接する時は、溶接部は決して板の面は面取りする。なって、強く教わりました。その部分のバリはとるなって。 バリをとってしまうと、その部分が薄くなって、溶接の時に穴があきやすいんですね。先輩たちのやった溶接のあとをみると、溶接幅も一定だし、裏側によく溶け込んでいて、きれいなもんでしたね。

暗黙のうちに、先輩たちは互いに競い合っていたんでしょうね。 それで僕らも仮どめしないで、端からずーっと溶接していく練習ばかりさせられて。その時に先に話をしたバリを生かすわけです。 その時に先輩たちがやっていた仮どめしないで薄板を一気に長く溶接していくやりかたは、もうできる人は少ないかもしれませんね。

 

<京成自動車在職中のアラカルト>

 いつだったか、先輩が自動車関係の会社にいるんだから、車の運転ぐらいできないとダメだよっていうんですよ。それでバスとかを動かすのに、会社にジープがあったんですね。で、そのジープで先輩が横に乗ってくれてね、運転免許とる練習したんです。それで、ハハ、アクセルとブレーキ間違えて、ハハ、電柱に突っ込んじゃった。こっぴどく叱られましたよ、先輩も僕も。だから先輩には悪いことしちゃったなあって。この時の恐怖心が抜けなくてね、ああ自分は運転には向いていないんだって思って、とうとう免許とるのは諦めました。

 一度ね、のんきな掃除のおじさんがいたの。工場を掃除するおじさん。そのおじさんが、バケツの中に入っていたシンナーを水と間違えて、消そうとしていた火にかけちゃった。それで工場の大きな扉に、よく試し塗りをしてたでしょ、そこがボオーッと燃え上がったんでびっくりした。 大急ぎでみんなで消しましたよ。バケツの水をかけたり、ホースで水を吹いたりして。消火器は使わなかったような気がするなあ。でもそのおじさんが怪我しなかっただけよかった。あとでしょぼーんとしていた顔は、今でも思い出すけどね。それがあってから、消火器を増やしたと思う。

<転機は思わぬところから>

 その京成自動車、月島にあったんだけど、2年経った時かな、本八幡に移ったんですよ。発展的な移転ですね。もっと広い場所が必要だと。それで通うのが大変になっちゃったんですよ。その頃は成城にある公営住宅に移っていたから、東京を横切って本八幡(千葉県市川市)まで行かないといけない。成城から新宿に出て、中央線でお茶の水まで行って、そこでまた総武線の電車にのりかえるんですけどね、今みたいにたくさんの本数なんてないから、1本逃すとずいぶん待たないといけない。そうですねえ、時には1時間半以上もかかってたんじゃないでしょうか。

 それに移転してからも忙しくてね、夜の11時ごろまで仕事。掃除を終わると12時でしょ。もう帰れない。しょうがないから、工場にあった風呂に入って、仮眠室で寝るわけです。朝になると、少し歩いたとこに食堂があんですよ、そこまで朝食をとりに行くんです。そんなことの繰り返しでね。

 そんな時に、いすゞの募集があったんですよ。川崎工場の食堂で試験があって、それを受けたら通ってね。その通知も電報なんですよ。それを見た親父がね、お前、今の会社で何か悪い事でもしたのかって、、、、一応京成電車の子会社だから、親父は大きな会社だと思ってるわけ。そこを何でやめるんだって、思ったんでしょうね。

 それで一応兄貴に相談に行ってね。オヤジはあまりいい顔しないんだけど、オレは会社を変わろうと思うんだけどって言って。そしたら、お前の生き方だから、お前の好きなようにやれって言ってくれた。それがいすゞに入るきっかけですね。

 

いすゞ自動車さんのマークは、日本の心のふるさと、伊勢神宮の側を流れる五十鈴川をイメージして作られたと、聞きました。川の水面が浮かんできます。

<お世話になった京成自動車から、いすゞ自動車に>

 いや、京成自動車もいい会社だったんですよ。年に一度は会社が旅行に連れて行ってくれるしね。やめるって言ったら先輩が、お前は見込みがあるんで、いろいろ教えていたんだって言ってくれたしね。結局、昭和36年9月にいすゞ自動車大森製造所板金課に入りました。20歳の時です。

次回に続く

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