話すのは苦手でね 2

インタビュー 三重宗久

話すのは苦手でね 鈴木公一氏 第2回

京成自動車での修行

板金見習いで入った京成自動車には4年いました。

そこでは耐えるってことを教わった、っていうより、どうしたら叱られないですむかって、それだけだったような気が気がするなあ。いいものを作るっていうよりね。そこにFさんていう工場長がいたわけ。その人がこう言った。鈴木君な、君自身がよく見ろ、と。何かを見つけろ、と。もし何か失敗した人がいたら、何か失敗した理由があるんだから、それを見つけろ、と。まだ僕が16~7歳の頃ですよね。腕のいい人の仕事をよく見ろ、それはよく言われましたね。

バスの修理

京成自動車ではバスをよくやってたんですよ。バスのボディを作ったり、修理したり。で、ときどき修理でバスが入ってくるとね、まず何をやるかっていうと、長椅子でしょ、そのクッションをはずすんです。そうすると、結構後ろ側に小銭が落ちていることがある。

 あと不思議なんですけどね、その頃はドアのところに車掌さんがいて、その上あたりに方向幕があった。で、修理に来たバスの方向幕の裏蓋を開けると、その中にけっこう小銭がはいってることがあったの。車掌さんがなんかの理由で入れたんでしょうかねえ。だからバスが入ったぞーって言うと、先輩たちと僕らと行って、まず長椅子をはずす、そのあと方向幕を見て、、、、、ハハ。

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あの当時のバスはみんな2枚折りのドアだったんですよ。その上にレバーが折りのドアだったんですよ。その上にレバーがついてて、車掌さんがそれを操作して開閉するようになってました。あれの特許は京成自動車の人が持ってたんですよ。先輩で旋盤専門の人で。おっかない顔をした年配の人だったんで、ライオンって言われてました。旋盤って、まわりを金網で囲ってあるんですよ。それで檻の中にいるからライオンって。その人が特許を持ってたんですよ。

外板リベット止めの話   

バスの外板はリベットどめでしょう、あの当時は。そのリベットどめは先輩とふたりで組んでやるんですよ。表で打って、裏でそれ をおさえる。 その前にもちろん穴をあけるんだけど、リベットが4ミリ径だったかな、だからそれより少し大きな穴ですね。最初はまずポンチで穴をあける位置を決めるわけ。場所によって(重ねのところ)千鳥つってさ、一列じゃあなくて、少しとびとびにずらして打っていく。

そのポンチの位置にドリルで穴をあけるんだけどさ、最初のうちはわかんないから、もう力まかせにやる。そうするとドリルの歯をよく折ってね。ドリルの切れるのも切れねえのもわかんねえから、力いっぱいやると、ポキンって折れちゃったりして。ただ穴開けなきゃいけねえっていうだけでやってるから。それに屋根にあがってやってるときは、ドリルの歯が折れると、落っこちそうになったりしてね。

リベットをうつ前にタッピングで仮どめすんですよ。(タッピングネジ:先端が尖っていて、相手側にネジが切っていなくても固定することができる)。そのタッピングのとこは、リベットを打つときは再度穴を開け直すわけ。

そこの当て板と鉄板の間には、シーラーを塗ってある。そこで使うシーラーは歯磨き粉みたいなやつ。それで先輩が穴をあける時に、今なら防塵メガネするんだけどさ、その頃はそんなものはないから、上からシーラーがたれてきて、乾くと真っ白になって固まるの、メガネのあたりに。それじゃあ何も見えないから、拭いてるとさ、そういう時に限って、何やってんだって怒られたりしてさ。

安全作業は、二の次・・・怖い先輩に叱られながら

 今考えると恐ろしいですよね。前にも言ったけど、草履のようなのをはいてるでしょ、それにタビはいて。脚立をたてて、そこに20センチぐらいの板を渡して、その上に立って作業するわけです。

リベットは床に並べたのを溶接バーナーで炙って、なましておくんですよ(いったん熱しておいてから冷ます)。柔らかくしたのをたたくわけ。帰りに次の日に使うのを、いくつかなましておくんですよ。最初は加減がわからないから、熱くし過ぎていくつか溶かしちゃったりして、ハハ。

 そのなましたリベットを、先輩が上からニューマチックでたたく。僕らはニューマチックって言ってたけど、エアハンマーですよね。それで上からガンガンって打つわけ。僕の方は下にいて、当て棒っていって、20ミリ径ぐらいの丸棒をあてがって、上下で締め付ける。

 だけど足元はフレームか、あの当時は床に木をはってたでしょ、その木がね、他の班の仕事だけど、はってあるときとないときがあるんですよ。運悪くはってない時にそこへぶつかると、バスのフレームへ落ちる。それが痛えわけよ。そん時に表からガンガンって打ってくると、裏で受けらんないから、何やってんだって怒られる、アハハ。

NHKの中継車

印象に残っているのはNHKの中継車、あの頃は京成自動車しか作ってなかったのかな。それが電源車と一対なんですよ。その電源車をやるのが大変だったんですよ。内側にね、綿みたいなグラスファイバーを詰めるんですよ。そういうの、なんにも知らないオレたちにやらせたんだろうねえ。夏だと半袖なわけだ。で、あれ、チクチクするんだよね、いつまでも。シャツ洗ってもさ、まだ残っててチクチクする。グラスファイバーを内側に全部貼るんだからねえ。いつまでも終わんないしさ。

 でもその中継車ができた時にね、あの頃のNHKは内幸町だったでしょ。そこまで中継車を持っていく時に、一緒に連れて行ってくれた。それでNHKの正面のとこで作業した。タッピングで部品をとりつけたりネジを締めたり。そん時はね、ちょっと誇らしい気持ちだった。いつもの工場の中と違って、こんなとこで作業ができるって。

 バスを作る時にはね、屋根の端の丸くなってるとこ、あるでしょ、あそこは型紙ができてるんですよ。切れ込みがあって、それを溶接でつけて行くと、大雑把なふくらんだ形ができるでしょ、それを板金用臼にのせて、丸い大きな木ハンマーでたたいていく。餅つきの臼のように深くはなくて、もっと浅いんですけどね。その上でたたいていくんだけど、それはふくらませていくんじゃなくて、よく勘違いしている人がいるんだけど、なめらかにふくらませて、まわりにはみ出た部分を絞るんです。

 そのたたいていくときは、たたき定盤の上でやるんですよ。自分は座っていて、ももと膝でたたく部分を調整するんですね。だけど大きいものになると自分だけでは自由にならないから、私のような小僧っ子が手助けする。反対側を持っているわけです。先輩のハンマーがうまく当たんないと、鈍い音がするでしょ。そうすると、お前、自分がやると思って支えてろっていうんだけど、そんなのわかるわけなない。やったことないんだから。でも、段々経験していくうちに、その先輩と僕の息があってくるわけですよ 。

鉄板を曲げる時もね、僕らがローラーっていってた機械があるんですけど(写真では英国で言うイングリッシュ・ホイールのように見える)、それを幾度も行き来させてローラーをかけます。その時もうまくやらないと、ローラーの端のとこで角が出ちゃうんですよ。それをとるのは大変なんだ。この時も先輩の反対側を僕が持ち上げてるわけ。

 それは力が要りましたね。一生懸命やってんだけど、うまくいかないで線がついちゃうことがある。そうすると怒られる。先輩たちはもう毎日のようにやってるから要領がいいんですよ。僕にはそれがわかんないから・・・しかも作業は1時間や2時間じゃないんですよ。ずーっとやってる。

あと京成自動車の時に教わったのは、今の人はあまり使わないけど、木ハンマー。あれをそのまま使うんじゃないんですよ。木ハンマーの打ち面をわざと焦がして、定盤で空打ちしてたたくと、平らになります。そうしてたたくとこを硬くするんですね。 シメるっていうんでしょうかねえ、炭化してるから、普通だと割れちゃうような時でも割れにくいんですよ。それに、硬くなってるから、けっこうデコボコがとれて、表面がきれいになります。カーブもきれいに出るんですね。打ち面を焦がした木ハンマーは使いやすい道具なんですね。

 ある時ね、仕事が暇だったのかなあ、京成は谷津遊園があったでしょ、あそこで使うメリーゴーランドのオットセイだかなんか作ったことがあんの。板金で、全部たたいて。オレは後ろの方だけたたかせてもらった。最後にヒレをつけてくんだけど、それもつけとけって。だけど、オレ、オットセイなんか見たことないから、魚と同じだと思ってたてにつけちゃった。ハハハ。

 僕が初めてやらしてもらったのはね、トラックのシャシーにバスのボディを乗っけるでしょ、その先端のエンジンルームとボディをつなぐ部分をトッピっていうんですけど、それでしたね。早稲田大学の南米探検隊が使う車両、そのトッピ部分をやらしてもらいました。もちろん、あとで先輩が手直しをしてくれるんですけどね。それで記念にその写真を撮ったんですね 。

(次回に続く)



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