「もう一つの自動車史」2

   自動車史 キュレーター 清水榮一

自動車オーラの記憶 

 

今年も間もなく敗戦記念日が巡って来る。日本国民が犯した最大の過ちを風化させることなく語り継ごうと思う。

戦時、私は1歳、富山に疎開し空襲を受けた(当MMJマガジン・ブログ「日本特有の自動車発展史 No.3」をご参照方)。「三つ子の魂、百まで」の様に私の自動車への想いと歴史研究は太平洋戦争前後の日本の政治経済、基幹産業、物流、人々の暮しが基になっている。

日本は戦後の灰燼から立ち上がり、30年後の1980年代に世界に冠たる自動車立国になれたが、自動車産業を始めとする勤勉な時代を忘ない様に、私は今も戦後のモータリゼーション開花期の日本製乗用車を日頃の脚に使っている。頗る絶好調だ。運転し整備する度に当時の自動車に備わっていた“尊厳”というか一種の“オーラ”を思い起こす。

(1)自動車は益虫

人間社会の絶え間ない発展を支えている社会活動の一つにヒト、モノ(含情報)、カネの移動によって生み出される付加価値の増大があるのではないだろうか。村の中で、村から他の村へ、村から都市へ、自国から他国へ・・・、いつの時代もこの3要素は移動している。その移動の為に人々はウン百年前から陸・海・空を制して来た。陸には自動車、海には船舶、空には航空機が行き交う。その様子は、”自動車=益虫、航空機=益鳥、船舶は=益魚“の様に思える。

自動車が発明されて以降、一台一台の“愛しき益虫”にソフトとハードの2つの生命が吹き込まれて今日迄の120余年間、世代の交代を繰り返しながら人々の暮しに役立って来た。ウン十億台の益虫たちが主人や顧客に仕え、オーラを放つ益虫達の一部は博物館で余世を過ごして自分達の生き様を後世に語り掛けている。

最初の自動車は一台一台個別の存在だったが、自動車メーカーが起業し多くの種類の自動車が活躍し始め、自動車のある便利で愉しい文化的な生活が拡がった。世の中の企業も自動車の利便性や安全性をサービス業として取り込んだので物流が捗り収益が増え経済も発展し、今や世界の約3割の国々が自動車の恩恵に与りつつ経済と文化を築いている

抽象的な表現だが、最初の自動車は「点」の存在であったが、人々に活用され始めて時の経過と共に自動車のある生活という「線」になった。さらに量産が進み自動車市場や自動車文化が築かれて広い「面」に発展し、安全環境対応、グローバル化、自動運転等の時代の要求に応えつつ、その「面」は積層して「立体」になった・・・と例えては如何だろう?ま、独善的比喩はさて置き、“自動車は人間社会と共存する生きもの同様貴重な存在”であり、“尊厳を有する存在”でもある。

(2)自動車の尊厳とオーラ 

江戸時代が260余年もの長期間発展出来たのは第一に身分制度の確立と幕府直轄地の経営、第二に寺子屋制度に見られる教育の普及、第三に参勤交代に伴うヒト、モノ、カネの移動(=付加価値の増大)に負う点が大きい。とりわけヒト、モノ、カネの移動は徒歩・飛脚、牛馬、船舶が担った。因みにオランダや英国の海洋貿易航路の拡大や米国の大陸横断鉄道の開通がその後の経済社会に大変寄与した史実は周知の処だろう。

この発展過程は動物や植物が栄養と酸素を体内組織に取込んで成長するという自然摂理に似ている点は実に興味深い。船舶や航空機や鉄道そして自動車が確たる尊厳を持って社会生活に於ける付加価値増大活動を加速した。

尊厳は多くの人々の信頼と公認の上に成立する。付加価値を増大する活動はまさしく“正義”であるからこそ、高い尊厳を伴うのだろう。そして尊厳は“オーラ”となって人々の期待を担い実現する。

帆船
プロの職場・電車の運転室
特急列車
バスの運転台(いすゞTX系)

自動車は道さえあれば意のままに効率良く走れるのでMobility(=移動性、機動性、可動性)の派生語Mobile(=機動性のある、流動的な、移動性に富んだ、可動性の)とAuto(自動、自ら)が合成された史実からも窺い知れる様に、自動車が産み出す移動機能は当時の人々の大きな期待を背負い、人間社会の経験と知識を集大成した財貨や人の移動道具として大きな価値を持つようになり、同時に尊厳も備わっていった。つまりプロ職人の登場である。運転、整備、販売に加えて自動車を活用して物流(含タクシー)や公共活動(警察、消防、救急、清掃等)を効率的(安全、迅速、安価)に運営するプロが登場した。

消防車(いすゞTX)
救急車(トヨタハイエース系)
ニューヨークの日本製タクシー(日産NV200)

また、自動車をドライブしたり、ドレス・アップしたり、旧車を復元したり、モータースポーツを観戦したりする愉しみは自動車オーナーの醍醐味ならではのものだ。絵画や服飾と同様に多くの人々の目に触れるので、オーナーのセンスやステータスも自ずと発信する。

愉しいドライブとランチ
クラッシックカーでパレードに

更に、自動車は数学、物理学、工学、化学、社会学、経済学、経営学、法学、心理学等の多くの難しい科学を駆使して造られる魅力や一国の関連産業の集積効果も大きな関心を誘った。この結果、自動車技術開発やマーケテイング企画に大きな尊 厳が生まれ、その道の専門家が輩出した。

ミニカーの発表展示会
モータースポーツ観戦(ラリー)
国の総合産業としての自動車産業

起業、商品開発、販売網拡充、資料保存等の各分野で大活躍され、日本自動車殿堂表彰された方々

以上の様な発想をしてみると、我々は自動車に大きな期待を掛けている事に気付く。いろいろな自動車にいろいろ大きな期待を掛けているからこそ一種の幻影とも言えるオーラを感じる。

自動車は乗用車も商用車も、その国の人々の生き様と大きな期待を反映している。英国車には英国の、フランス車にはフランスの、ドイツ車にはドイツの、米国車には米国の、日本車には日本の、それぞれの国の歴史文化を秘めたオーラが漂う。因みにそれらのオーラは以前に流行したスーパー・カー的なものではなく、ごくフツーの市民の日常生活で感じて来た素朴な期待像に他ならないと思う。

(3)日本車成熟の道のり

どの国でもヒト、モノ(含情報)、カネが移動する事に拠って時代の変遷と共にその規模と運搬技術が拡大していった。西欧の主要都市では馬車の時代から石畳の道路網が都市間の輸送を支えた。ナポレオンやヒトラーが建設した軍事道路網は国の発展に大きく寄与したが、日本では道路の整備は遅れた。

日本で自動車輸送が軽視された背景には、旧くから「道路交通は鉄道網を補完する位置付け」という、お上の方針があった。江戸時代以前は徒歩と水運が主で、荷車や馬車も利用したにも拘らず道路の整備は極めて脆弱だった。明治時代に入って富国強兵政策を執り、近代都市の改造と物流インフラを整備する為に、先ず工期が短かく比較的安価な鉄道網を優先した。

その後、20世紀初頭に於ける自動車の出現はこれらの様相を大きく転換させ、以降、日本は経済大国への道を歩み始めた。日本は自動車立国になる迄の過程で多くの諸要因が自動車のオーラを産み出して来た事に改めて驚かされる。

創業期 1930~1944 復興期 1945~1960 国内成長期 1961~1972 グローバル化参入期 1973~1999 グローバル化拡大期 2000~2020
世   相 富国強兵 新興財閥 戦後復興米国崇拝 所得倍増列島改造 規制緩和 金融ビッグバン 人口動態変化  格差拡大
経   済 恐慌・通貨不安定 デフレ 貿易・資本の自由化 円高  バブル BRICs諸国の台頭
社会インフラ 重要産業優先 鉄道・船舶重点 未整備の悪路  高速道路  女性進出 民活重視 消費者保護 低維持費  IT化  地方創生  パンデミック対応
自動車の 優先的な機能 軍需、公共交通 ショーファー・ドリブン 鉄道網の補完機能 ハイヤー、タクシー 企業・個人の所有進展 オーナー・ドリブン 緻密な利便性(宅配) イージー・ハンドリング 新付加価値の創出 (自動化、発電機能等)
自動車の趣味性 希薄 経済富裕層に限定 国民的趣味 ドラィブ モーター・スポーツ、 オートキャンプ 趣味性希薄化
人々のステータス 皇族財閥起業家高額所得者 政治家、米軍関係者 歌手、高額所得者 人気俳優・タレント、 欧米文化、企業経営者 マスコミ的人気者、 若手起業家 発展途上国の新価値観  
企業の経営志向 技術取得  設備投資 関連産業系列化 販社網拡充 大量生産 原価低減 不動産含み益拡大  輸出拡大 安全・省エネ ニッチ商品の増強 海外拠点の拡充 合従連衡
期初の保有 (千台) 135 210 2,403 23,869 74,583
商品コンセプト 生産の主な課題 基礎技術模索 耐久性(頑丈なクルマ)  修理の簡素化 高速安定性 量産と原価低減 安全公害対策 車種バリエーションの増強 省エネ対策 自動化実現 プラットフォームの合理化

(4)自動車オーラの変化(於日本)

(ⅰ)1900年~30年代・・・・・「国と庶民生活を支える商用車)、「モダン都市文化の象徴・乗用車)

自動車は鉄道の開通から約30年も遅れて20世紀初頭に日本に入って来たが、既に鉄道は軍用と共に民衆の交通手段として根を下ろしつつあった。

自動車はトラック、バス、それにオートバイやオート三輪車などの商用車が軍と民間で使われ始めたから、商用車は庶民生活の支えとして地味ではあったが根強い期待を担った。排ガスの匂いを撒き散らしカン高いエンジン音をあげて走るオート三輪は庶民の強い味方であり、あらゆる小口物資を運搬するオーラを放った。一方、乗用車を所有する事は超上流階級と法人が主であったから超高級舶来品として高値の華のオーラを放った。

1920年代の初期、関東大震災で鉄道(含む市電)は著しく破損した。この窮状対策に東京市がバスに架装したフォードを投入した結果、官も民も自動車の優れた機能を再認識し、自動車と鉄道は共存する様になった。加えて震災復興と相俟って自動車、特に乗用車は目覚ましく発展する都市文化の構築に一役買う様になった。時代の先端を行くおカネ持ちの奥様方は“今日は帝劇、明日は三越”、一般庶民は米国製のタクシー(それもかなり草臥れた)に乗れる事が自動車と接する唯一の機会ではあったが、次第に乗用車という高級な道具を身近に感じ始めた。

国民生活を支える(フオードT型 1917年)
フランスの優雅な香り(ベルリエ 1922年)
イギリスの合理主義(オースチン7 1929年)
国を護る(ダット トラック 1931年)
モガ・ボガにも大好評(ダットサン)1937年
商店の運搬を支えるオート三輪(くろがね 1936年)

(ⅱ)1940年~50年代・・・・・「トラックは銃後の護り」、「夢の観光バス」、「はっくいガイシャ」

太平洋戦争に向けて日本は国産の軍用トラックに掛ける期待は大きかった。「自動車=トラック=兵器、銃後の護り」となり、勝利を導く軍神にも似た絶大なオーラを背負った。

幼な心に街を行くトラックを眺めるのは怖かったが、実に魅力的な動く個体であった。また、この頃の兵器の色は光沢無しのカーキ色、クロームの星マークが国防オーラを強調していたが、陸軍のカーキ色と海軍の白色は全く不釣り合いなコントラストであった。配給米が欠乏し男達は農村へ買い出し列車に群がった。

1940年代半ばに連合国の統治となった日本には米兵の駆るジープやウエポン・キャリアーや日本人が運転するキャブオーバー型米軍スクール・バスが走り始めた。夢の様な乗用車も輸入され、これらの「ガイシャ」が発散する「戦勝国=文明先進国=文化先進国」のオーラを撒き散らしつつ・・・。これらのオーラはその後の日本を大きな経済発展に導く一服の清涼剤でもあったが、当時、多くの慎ましい人々は”遊覧バス“に乗って日帰りの観光見物するのがせめてもの愉しみであった。

日本陸軍の象徴(ニッサン80トラック 1937年)
連合軍の象徴(ウィリス・ジープ 1944年)
あこがれの観光バス(1954年 筆者12歳)
アメ車の代表格(ビュイック・スーパ-8 1950年)
本格派国産乗用車登場(トヨペット1953年)
オート三輪の上級移行を加速
(トヨエース 1954年)

(ⅲ)1960年~70年代・・・・・「宅急便動物園戦争・商用車」、「ステータス・シンボルの輸入乗用車」、「新生活=国産乗用車」

1960年半ば以降、目覚ましい経済成長と共に道路のインフラ整備も進み自動車輸送はトンキロ・ベースでも鉄道輸送を凌駕する様になり事業用商用車の世界が確立した。 積載能力に優れたキャブオーバー化が進み、バスを含む大型商用車から1トンクラスのピック・アップまでが揃った。こうしたハードの充実と共に運行配送システムに電算機を導入し、大都市と地方都市を結ぶ物流体制が出来上がった。動物のシンボルマークを掲げた宅急便の浸透は 田舎の母から都会の息子に新鮮な野菜を届け、コンビニの新鮮なお弁当の供給を支え、実に多くの社会貢献をして来た史実に留意したい。

乗用車の世界はアメ車から次第にヨーロッパ車に替って行ったが、多くの日本製の小型大衆車も登場し、休日には家族友人との郊外ドライブやジムカーナやエンジン・チューニング等を愉しめる“文化的な道具”として民衆文化も開花した。しかし混雑の激しい大都市ではあまり本来の効果を発揮出来ず、“自家用車を持っている”という記号性が一種のオーラとなった。また、ドイツのディーゼル乗用車普及を学んだ日本の自動車業界は低燃費のディーゼルやLPGのエンジンを搭載したタクシー仕様車を発売、ガラガラと高音のエンジン音は同時に低回転でのトルクの太さも感じさせ、排気の独特な匂いはタクシーという自動車プロのオーラを発散させた。

最後のボンネットバス(トヨタDB100 1965年)
積載量拡大(三菱ふそうキャブオーバー・トラック)
走るアメリカ文化(キャデラック・ド・デビル1968年)
走る伝統文化(メルセデス・ベンツ300SEL 1963年)
大衆の総意(カローラKE10 1969年)
タクシーの主張(いすゞ ベレル 1964年)

(ⅳ)1980年~1990年代・・・・・「バブルの塔=乗用車」、「物流の主役=商用車」、

1980年代、日本のクルマ造りは自動車個々の技術開発もさることながら、リーン・プロダクションを始めとする生産システム開発が牽引役を務めて世界のトップに立ち、海外生産比率が高まって行った。

バブル期絶頂の頃は高級大型乗用車が持て囃されたが、21世紀になると何かと社会から敬遠され、都市部の自家用車が減少するかガレージの中で眠る一方、地方都市では日常のスニーカーとして乗貨兼用車が活躍し始め機能的の家財道具になり、乗用車は次第にPCなど他の耐久消費財にその魅力を譲って行った。

一方、事業用の大型商用車の方は幹線高速道路で、小型商用車は一般道路で、それぞれ大活躍を続けた。

この背景には“プロ・ドライバーとしての自信と誇り”があった点を忘れてはならない。商用車の世界には乗用車には無いオーラ、つまり“お客様の商品を安全、迅速、計画時刻通りに運ぶ”というプロ・ドライバーの実直さと苦労と意地が滲み出ている。片山翁は何時も仰っていた。「スポーツカーと同様に商用車には商用車流の運転をする愉しみがあるものだ」と。これぞ真の自動車愛好家の言葉と思う。シャーシ剛性が高く、ミッション・ギア比が低くディーゼル・エンジンなのでトルクが太く且つフラットであり、ブレーキも極めて正確に利く。アイ・ポイントが高い位置にあるので見通しが良い。これらの仕様は物流を担う生産財としての機能美を感じるし、地味な存在であるだけに一層愛おしい。そしてこの「働くクルマ」の運行状況や整備内容を管理する安全運転管理者は大切な司令塔の一つでもある。

また、旧態依然とした戦後直後の運送事業法を改善するべく、果敢に挑戦して見事に規制緩和を実現した宅急便企業の起業家の功績を忘れたくない。

シーマ現象の火元 1988年
プロの職場 大型トラックの運転台(いすゞ)・ギガ)
経済活動の血液を運ぶ宅急便(日野デュトロ)

杞憂に過ぎなければ好いのだが、海の向こうの何処かの国の様に金儲け上手な元首が“金儲けファースト”を掲げ、商業主義に偏向した国や企業の運営を強行すると尊厳もオーラも無い惨めな結果になるだろう。

(ⅴ)2000年以降・・・・・「自動移動カプセル・乗用車」、「ラスト・ワンマイルが勝負・商用車」

周知の通り我々はエネルギー革命、モビリティ革命、情報革命の3つの大革命を経験して来た。そしてこれらの革命は自動車、インターネット、ロボットの3種の神器によって大きく推進する事が出来た。自動車はエネルギー革命とモビリティ革命を、インターネットはモビリティ革命と情報革命を、ロボットはエネルギー革命と情報革命を主として推進したと言えよう。

乗用車は「自動移動カプセル」、商用車は「ラスト・ワンマイル」がそれぞれ代表的なオーラになるだろうが、尊厳やオーラは人々の暮らしや国のあり方に基づいて多くの人々の信頼と公認の上に成立し持続する点だあろう。理にかなった付加価値を増大する活動はまさしく“正義”であるからこそ、高い尊厳を伴う。そして尊厳は“オーラ”となって人々の期待を担い実現して行く。

杞憂に過ぎなければ好いのだが、海の向こうの何処かの国の様に金儲け上手な元首が“金儲けファースト”を掲げ、商業主義に偏向した国や企業の運営を強行すると尊厳もオーラも無い惨めな結果になるだろう。

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