ダットサンの名を冠した乗用車は、戦前は1932年発売の10型から始まり、38年3月発売の17型まで続く。
同年5月には35年に稼働した横浜工場が2万台目をオフラインしたが、日本は戦時色が強まる
。燃料や鉄などを軍需に振り向ける統制経済が進む中、監督官庁は乗用車の生産制限を指令し、同年末には事実上の生産中止となった。
ダットサンの名を冠した乗用車は、戦前は1932年発売の10型から始まり、38年3月発売の17型まで続く。
同年5月には35年に稼働した横浜工場が2万台目をオフラインしたが、日本は戦時色が強まる
。燃料や鉄などを軍需に振り向ける統制経済が進む中、監督官庁は乗用車の生産制限を指令し、同年末には事実上の生産中止となった。